東京地方裁判所 平成11年(ワ)12918号 判決 2000年4月25日
原告
A
右訴訟代理人弁護士
鶴見祐策
同
岡山未央子
被告
株式会社あすなろ
右代表者代表取締役
B
右訴訟代理人弁護士
中村右也
主文
一 原告が映画「ちぎれ雲」の脚本について著作権を有することを確認する。
二 被告は原告に対し、金五〇万円及びこれに対する平成一一年六月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 主文一項と同旨。
二 被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成一一年六月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 原告は、映画監督、脚本家であり、映画製作会社である株式会社フィルム・クレッセント(以下「フィルム・クレッセント」という。)の取締役である。
被告は、俳優・歌手養成業、タレント仲介業、演劇活動、テレビ映画・映画・演劇製作等を業務とする会社である。
2 被告の実質的オーナーであるC(以下「C」という。)は、老人介護の問題を正面から取り上げた映画の製作を発案し、その映画の監督として予定されていた原告は、平成一〇年五月ころ、老人介護をテーマとする映画「ちぎれ雲」(以下「本件映画」という。)の脚本を執筆した。
3 被告とフィルム・クレッセントは、平成一〇年六月三〇日、フィルム・クレッセントが五〇〇〇万円で本件映画の製作を請け負う旨の契約(以下「本件契約」という。)を結んだ。
4 原告は、平成一〇年七月二日から本件映画の撮影を開始し、同月末ころ撮影を終え、翌八月から編集作業を行い、同月末ころ本件映画を完成させた。
5 Dは、小説「ちぎれ雲」(以下「本件小説」という。)を著作した。本件小説は、平成一〇年一一月一六日、株式会社河出書房新社(以下「河出書房新社」という。)から出版された。
6 被告は、原告が本件映画の脚本(以下「本件脚本」という。)の著作権を有することを争っている。
二 本件は、原告が被告に対し、本件脚本について著作権を有することの確認を求めるとともに、被告が本件小説に関する原告の氏名表示権を侵害したと主張して、不法行為による損害賠償を求める事案である。
第三争点とこれに関する当事者の主張
一 原告が本件脚本の著作権を有するかどうか
1 原告の主張
(一) 原告は、本件脚本の著作者であるから、その著作権を有する。
(二) 原告は、本件契約により本件脚本の著作権を被告に譲渡したことはない。
2 被告の主張
被告は、フィルム・クレッセントと本件契約を締結して本件映画の製作を請け負わせ、製作費全額を負担しており、本件契約の第四条では本件映画の著作権は一〇〇パーセント被告が保有すると定めている。また、本件映画は被告の実質的オーナーであるCが発案し、本件脚本もCが何人かの脚本家に依頼し、最後に原告に依頼して作られたものであり、被告はその脚本料を本件契約の請負代金を支払うことにより支払っている。さらに、本件契約の第八条では、被告は本件映画をあらゆる媒体を使用して複製し、その複製物を販売し、あらゆる手段方法により利用する権利を留保しており、第一二条では、フィルム・クレッセントは脚本の著作者等との関係で被告の右権利を不完全ならしめることはないことを保証しているところ、原告が本件脚本の著作権を有することになると、被告の本件契約第八条に規定する権利の行使が阻害される。そして、原告は、フィルム・クレッセントの代表取締役であるEとともに実質的に同社を経営するものである。
したがって、被告は、本件映画の著作権者であるだけでなく、本件脚本の著作権を原始的に取得したものである。仮に、原告が本件脚本の著作権を取得したとしても、被告は、本件契約により原告から本件脚本の著作権の譲渡を受けた。
二 被告が本件小説に関する原告の氏名表示権を侵害したかどうか
1 原告の主張
本件小説は、専ら本件脚本を原著作物として執筆され、河出書房新社から単行本として出版された。右単行本の校正刷り段階での奥付には、原告の氏名が「原案」として表記されていたが、現実に出版された単行本の奥付及び表紙には全く原告の氏名が表記されず、奥付の前頁に映画スタッフの一員として他の出演者、スタッフと同様の扱いで表記されているに過ぎない。
このように本件小説の原著作者である原告の氏名が表示されなくなったのは、被告が河出書房新社に対し、右のように原告氏名の表記を変更させたからであって、被告の行為は、原告の氏名表示権を侵害する行為である。
2 被告の主張
本件小説は、本件脚本及び本件映画を原著作物として執筆されたものである。
本件小説の単行本の奥付の前頁には、「本書は、映画『ちぎれ雲』を小説化したものです。映画『ちぎれ雲 いつか老人介護』」と表記し、スタッフとして「脚本・監督 A」と表記しており、脚本家としての原告の氏名は表示されている。
河出書房新社は、原告の意見も聴いた上で、原告の氏名を奥付ではなく、その前頁の映画のスタッフとして表示することにしたのであり、原告はそのような表示にすることに同意していた。
三 原告の損害額
1 原告の主張
原告の氏名表示権の侵害による慰謝料の額は金一〇〇万円が相当である。
2 被告の主張
原告の主張を争う。
第四当裁判所の判断
一 事実関係
前記第一の一の事実に証拠(甲三、四、六、七、九、一一、一二、乙三なしい五、八、一〇、一五、証人F、原告本人)と弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
1 被告の実質的オーナーであるCは、平成八年一二月ころ、老人介護の問題をテーマとする映画の製作を発案、企画し、Gにその脚本の作成を依頼した。Gは、平成九年一月一二日ころ、Cとの企画打合せに基づき、物語のラフ・スケッチを作成し、被告の従業員で右企画を担当していたF(以下「F」という。)に送付したが、脚本の作成にまでは至らなかった。
2 Fは、平成九年二月ころ、右映画の監督として予定されていた原告に対し、右映画の構想を伝え、シノプシスの作成を依頼した。原告は、同月二八日ころ、「劇映画 枯木の家」と題するシノプシスを作成してFに渡した。
3 Fは、平成九年三月ころ、Hに対し、右シノプシスを渡して右映画の脚本の作成を依頼した。Hは、「誰もが予備軍(仮・枯木の家、改題)」と題する脚本を作成したが、被告においてその内容に満足できなかったので、Fは、平成九年四月ころ、Iに対し、右映画の脚本の作成を依頼し、Iは、同年六月三〇日ころ、劇映画「陽ざしの中で」と題する脚本を完成させた。しかし、右脚本の内容について、監督予定の原告とIとの間の意見の食い違い等があったことから、右脚本は採用されず、原告が右映画の脚本を作成することとなり、原告は、平成一〇年五月ころ、本件脚本を完成させた。
4 被告とフィルム・クレッセントは、平成一〇年六月三〇日、本件契約を締結したが、本件契約の契約書には、次の趣旨の条項がある。
第四条 本映画の著作権は、甲(被告)が一〇〇パーセント保有する。
第八条 甲(被告)は本映画を、国の内外を問わず、あらゆるゲージのあらゆる媒体を使用して複製し、かつそれらの複製物を販売し、配給し、上映し、放送するほか、現に知られているならびに将来開発されるあらゆる種類の手段方法によって、利用することができる。
第一二条 乙(フィルム・クレッセント)は本映画の製作に際し、本映画に使用する著作物(原作・脚本・音楽等)の著作者、創造的要素(監督・撮影・編集等)を担当する者及び出演者等との間に第八条の権利を不完全ならしめる内容の契約を締結していないことを甲(被告)に対して保証する。万一、甲(被告)が第八条所定の権利を行使した際に、これらの者から異議申し立てがなされた場合は、乙(フィルム・クレッセント)は乙(フィルム・クレッセント)の責任と負担においてこれを処理解決し、甲(被告)に対しいかなる迷惑損害もかけないものとする。
5 原告は、平成一〇年七月二日から本件映画の撮影を開始し、同月末ころ撮影を終え、翌八月から編集作業を始めて同月末ころ本件映画を完成させた。そして、同年九月五日、千葉県木更津市において、本件映画の試写会が行われた。
6 Dは、平成一〇年七月ころ、河出書房新社の編集者から本件映画のノベライゼーションを打診され、同月二八日、正式にその執筆依頼を受けて、これを承諾した。Dは、その数日後に河出書房新社から本件脚本の送付を受け、これに基づいて本件小説の執筆を開始し、本件映画の撮影現場の特別養護老人ホームを取材した。そして、同年九月初めころ、本件小説の第一稿を脱稿して河出書房新社の編集部に渡した。Dは、右脱稿後、木更津市で行われた本件映画の試写会に行き、本件映画を観たが、開始時刻に遅れたため、映画の全部を観ることはできなかった。その後、Dは、右第一稿に手直しを加えて、平成一〇年九月二二日、本件小説の第二稿を完成させた。Dは、本件小説を完成させるまでに、右試写会のほかは、本件映画を観ていない。
7 河出書房新社は、平成一〇年九月下旬ころ、本件小説の単行本の初校正ゲラ刷りをFに送付し、原告はFからこれを受け取ったが、右初校正ゲラ刷りには、奥付に「ちぎれ雲」、「D」、「A(原案)」と三段に表記されていた。しかし、Cが、本件映画及び小説の企画を立案して押し進めてきた自分の名が表記されず、原告の名が表記されることに不満を持ったことから、Fは本件小説を企画した株式会社夢の設計社を通じて河出書房新社に対し、右奥付の表記の変更を申し入れ、その結果、現実に出版された単行本の奥付には「著者 D」とだけ表記されて初校正ゲラ刷り段階にあった原告の氏名は削除され、原告の氏名は、奥付の前頁に「本書は、映画『ちぎれ雲』を小説化したものです。」、「映画『ちぎれ雲 いつか老人介護』と二段で記載された下の、「出演」、「製作」、「スタッフ」、「推薦・後援」の「スタッフ」の所に、「脚本・監督 A」とのみ表記された。
二 争点一(原告が本件脚本の著作権を有するかどうか)について
1 右一3のとおり、本件脚本は、原告が執筆したものであるから、その著作権を有するのは原告であると認められる。
被告は、原告が本件脚本の著作権を有することを争い、①被告は右著作権を原始的に取得した、②仮にそうでないとしても、本件契約により原告から右著作権の譲渡を受けたと主張する(前記第三の一2)。
しかし、法人である被告が本件脚本のような言語の著作物の著作権を原始取得するのは、著作権法一五条一項(職務著作)の規定が適用される場合だけであるところ、被告が前記第三の一2で主張するような事情は右職務著作の規定の適用の要件たる事実には当たらないから、被告の右①の主張は主張自体失当である。
次に、被告の右②の主張について判断する。本件契約には、右一4認定のような趣旨の条項があることが認められるが、これらの条項は、被告に本件映画の著作権が帰属すること(第四条)、被告が本件映画について利用権を有すること(第八条)及びフィルム・クレッセントが本件映画の脚本等の著作者等との関係で被告の右利用権を保証すること(第一二条)を定める条項であることはその文言上明らかである。本件脚本の著作権の帰属は、右の映画に関する著作権の帰属やその利用関係とは別個に定まるものである上、原告が本件脚本の著作権を有するとしても、原告が本件映画について本件脚本の利用を許諾していれば、被告が右の各条項によって認められた権利を行使することの障害となることはないものと解されるから、右の各条項が存するからといって、原告が本件脚本の著作権を被告に譲渡したものと認めることはできない。また、右一1ないし3のとおり、本件映画はCが発案したものであり、その脚本は何人かの脚本家に依頼し、最後に原告に依頼して作られたものであるが、そのような事情は、本件脚本の著作権の帰属を左右するものとは認められない。さらに、証拠(乙七、一五)によると、本件契約の請負代金中には、原告の脚本料が含まれていることが認められるが、脚本料の趣旨、内容について被告と原告又はフィルム・クレッセントとの間で話合いがされた事実を認めるに足りる証拠はないこと、証拠(原告本人)によると、原告は、右脚本料について脚本を映画に使用することに対する対価であると考えていたものと認められること、本件契約のような映画の請負契約において脚本料は脚本の著作権の譲渡代金であると一般に理解されていたことを認めるに足りる証拠はないことを総合すると、右脚本料支払の事実があるからといって、原告が本件脚本の著作権を被告に譲渡したとは認められない。そして、他に右譲渡の事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、被告の右②の主張は採用できない。
三 争点二(被告が本件小説に関する原告の氏名表示権を侵害したかどうか)について
1 右一6の事実によると、本件小説は本件脚本に基づいて執筆されたものであると認められるから、本件小説は、本件脚本を原著作物とする二次的著作物であると認められる。したがって、原告は、本件小説の公衆への提供に際して原著作者として氏名表示権を有する(著作権法一九条後段)。
2 右一7のとおり、河出書房新社は、本件小説の単行本の初校正ゲラ刷りの段階では、奥付に著者である「D」と原著作者である「A(原案)」を二段に併記していたが、Fからの申入れにより、現実に出版された単行本の奥付には「著者D」とだけ表記して「A(原案)」の部分を削除し、原告の氏名は、奥付の前頁の映画の「スタッフ」の所に「脚本・監督 A」と表記されたのみであったと認められる。
右の現実に出版された単行本の奥付の記載では、原告の氏名は、映画のスタッフとして表記されたのみであって、本件小説の原著作者として表記されたとは認められない。これに対し、河出書房新社が作成した本件小説の単行本の初校正ゲラ刷りの段階では、原告の氏名が、本件小説の原著作者として表記されていたものと認められる。
そうすると、Fは、河出書房新社に対して申入れをして、本件小説の原著作者としての原告の氏名の表記を削除させたということができるから、この行為は、本件小説に関する原告の氏名表示権を侵害する行為であるということができる。
3 被告は、河出書房新社は原告の意見も聴いた上で、原告の氏名を奥付ではなく、その前頁の映画のスタッフとして表示することにしたのであり、原告はそのような表示にすることに同意していた旨主張する(前記第三の二2)。しかし、証人Fの右の点に関する証言はきわめてあいまいであって、同証言から右の事実を認めることはできず、原告は、本人尋問において、右事実を明確に否定する供述をしているから、原告が右奥付及び前頁のように原告の氏名を表示することに同意していたとは到底認められない。したがって、被告の主張は採用できない。
4 右一認定の事実によると、右2のFの氏名表示権侵害行為は、被告の従業員が被告の事業の執行に付き行ったものと認められるから、被告は、右侵害行為によって原告が被った損害を賠償する責任があるというべきである。
四 争点三(原告の損害額)について
証拠(甲一二、原告本人)によると、原告は、本件小説の単行本に原告の氏名が原著作者として表示されなかったことにより、精神的損害を被ったことが認められ、その損害の内容、被告の侵害行為の態様その他本件に現れた諸般の事情を総合考慮すると、原告の被った精神的損害に対する慰謝料の額は金五〇万円を相当と認める。
五 よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 森義之 裁判官 杜下弘記)
裁判官 榎戸道也は、転補のため署名押印することができない。